「幽かな光」


幼い頃、蝙蝠たちの巣窟でもある枯れた井戸へ落ちた。
そのとき身体に受けた衝撃よりも、手を伸ばしても決して届くことのない光の遠さに愕然とした。
父やアルフレッドが助けに来るまで、そう時間はかからなかったはずだ。だが刻まれるときが深まるにつれ、まるで闇が自分を飲み込んでしまうのではないかと考えたのだ。
光のささない地下は、背中がぞくりとするほど冷ややかだった。そして湿気を含んだねっとりとまとわりつくような黒い空気に、絡めとられてしまうことに恐怖した。
助けて!
逃れたい一心で、右も左も真っ暗な闇へと夢中で手を伸ばした。その先にはなにも見えないことはかっていたし、誰もいないことを知っていた。それでも、すがるものを見つけようと必死だった。
けれど、予想通りなにも得られないむなしさをあじわうだけだった。そのとき、孤独と恐怖にたえることを学びとったのだ。
ところがぴんと伸ばした手が力強く握られた。その手は救い上げるように、私を強引に導いた。
「バットマン」
そして自分を呼ぶ声。はっと我に返り、自分を見下ろす存在に気がついた。
「大丈夫?」
腕をとっているのは、ナイトウィングだ。私をのぞきこみ、戸惑うような表情をみせている。その背後には古めかしいビルがそびえた立ち、隙間からジョーカーの口もとを思い起こさせる弓なりな細い月がこちらを笑っていた。
私はいつの間にか地面の上で仰向けとなり、空にむかってあらん限り腕を伸ばしていたようだ。そして、さびれた記憶を呼びもどしていたのは、夢のせいだとようやく気づいた。
身体はひどく重たかった。節々が悲鳴をあげ、内部にいたっては盛大にかき回されたように気持ちが悪い。起き上がることもできず、手足はただ投げしたままだ。
しかし私以上にひどいのは、ナイトウィングのほうだった。マスクで覆われていない肌が、赤くあるいは青く腫れ上がっている。コスチュームも裂傷や汚れがひどく、痛々しい状態だった。
「私のせいだな」
自責の念で発した言葉は、乾ききったのどから掠れてしか出てこなかった。
「あんた、毒にやられたんだ。仕方ないよ」
そうして、張りつめていた緊張を脱ぎ落すような息をつき、ナイトウィングは口もとをゆるめた。
馴染みとなってしまったヴィランの毒に対しては免疫もそれなりについていたし、解毒薬もいくつか所持している。しかし今回は人工的に生成された薬物をく らった。追いつめられた犯人がふりまいたのは、日本でテロに使用され有名となった毒。気体となって呼吸や皮膚から吸収したとしても、その効果は絶大だ。
性質は神経を興奮状態にし、血圧を上昇させ、呼吸異常を起こさせる。おそらく常軌を失った行動をしはじめた私を、ナイトウィングが押さえつけてくれたのだろう。
まだ強く握られたままの手。グローブごしとはいえ、ぬくもりが浸透していく。
「助かった」
ひと言では返せない感謝を、それ以上の表現で飾り立てることはできなかった。だから素っ気無い態度に、ナイトウィングは不平をいう。
「こういうときは、素直に『ありがとう』っていうべきじゃないか?」
けれど、なぜか笑いをのせた口調だ。
「ま、そのほうがあんたらしいけどね」
幼い頃は師弟の関係を重んじていたせいか、格式ばったやりとりが多かった。しかし成長とともに、いやナイトウィングとして独立してからディックは隔たりを破った。自由に、そして素直に意見を口にする。まるで私を反面教師としたかのように。
その違いを確認するたびに、安堵している己のことを知っている。
「アルフレッドが来るまでもう少し時間がかかるから、ちょっと寝てれば」
おまえに見守られながらか? いつもの調子で嫌味を返そうとしたが、今日ばかりは飲み込んだ。
林立するビルの生みだした闇の底で、うっすらとしか見えない月明かりを私は仰ぎ見た。どこかで目にしたような光景に目を細める。
もしも手にしたものが弱さの証であれば、ふり払うべきだろう。それでも、知らずにいることより、知ることができた悦びを感じずにはいられない自分がいる。
目を閉じ、ただその感触だけを浮き彫りにする。それから私は存在を認めるように、強く握りしめた。







yoshinoさまから誕生プレゼント用にと、頂きました。
5月に出した本からイメージしてくださったそうで、嬉しいことかぎりありません。
しかもぶるでベースで、もう幸せいっぱいvv(素直)
私は小説とか長い文章を描くのが苦手なので、本当にすごいなぁと思います。
素敵な物をありがとうございました!!